天国途上 〜生きること思うこと〜

イエス・キリストを信じて、聖書を学び続けながら、ほんとうの幸せに出会いました。 私の日常は平凡なのに感動があふれ、問題や失敗もあるのに希望があふれています。 人生はそのゴールである天国へ向かって変えられ続けています。こんな私が日々思うことを公開します。 仙台市郊外にあるプロテスタント教会在籍。

傷の癒し

わたしは傷を持っている
でも その傷のところから
あなたのやさしさがしみてくる

口に絵筆をくわえて生み出された星野富弘さんの詩画集『風の旅』の中にあるこの詩に出会ったのは高校生のときで、 ページを開いた瞬間から涙が止まらなかったのを覚えている。

私は養子として育てられた。

実の母は私が4歳のある日に家を出ていって、そのまま二度と帰ってこなかった。

父と祖母との暮らしが数年たった頃、父の再婚のため私を親戚の養子にすると告げられた。心の内に言葉にならない動揺を秘めたまま、ものわかりよく親戚のおばさんに引き取られた。

親を責め憎むような激しい感情はなく、むしろ、幼いながらに親の事情を察し「仕方ないこと」と受け入れ、困らせないように明るく振る舞った。

4歳でも記憶がある。

夜になると両親が毎日のように喧嘩していた。母親がいなくなった時、誰に教えられなくても「もう帰ってこないんだな」とわかっていたように思う。

父の再婚のときも、父の表情や留守がちな様子から、なんとなく父の心が他の場所に移っていると聞く前からわかっていた。

「あなたのことを愛している。だけど、やむを得ない事情ができて、あなたと別れるしかない。わかってくれるね?なにかあれば連絡していいんだからね。幸せになるんだよ。」

優しい響きで語られた悲しい宣告は、私の心に染み込んでこだました。

「嫌だよ。私はどうなるの?淋しいよ!捨てないで!」と叫びたくても声にならず、その言葉は静かに広がる霧のように私の心を曇らせ湿らせるだけだった。

家族は私のことを愛してくれていたはずだ。でも、愛には限界があるんだ、と幼少のうちに体験的に学習した。

私は健康体だったし、よい友人にも恵まれた。にもかかわらず、深い悲しみと共に歪んだセルフイメージは常に私を苦しめる傷となった。

「誰かが自分の幸せを選択しようとしたらお荷物になる存在」

それが私のセルフイメージだった。

どうしても必要だと選ばれる存在ではなく、最後には捨てられる存在。

この傷は、悲しみの時には失望を増し加え、嬉しい時にさえ不安を呼び覚ました。未来に期待しないこと、それが自分をなんとか保つ方法だった。


癒しのプロセス


そんな私が結婚する時、どんな気持だったと思いますか。

生涯のパートナーに私を選び、私を妻として愛すると誓ってくれる男性が与えられた感謝と喜びは、結婚18年になる今もなお私を涙させます。

結婚式に参列してくださる方々のために手作りした夫婦の自己紹介パンフレットに、私は冒頭の詩を印刷しました。

結婚式という幸福の真っただ中にあってなお、私は自分の傷を強く意識していたのです。

私の傷は癒されることはない。

しかし、傷は悪いばかりではなく、恵みの入口にもなるという感謝を自分なりに表現したかったのです。

夫は精一杯の愛を私に注いでくれましたが、やはり私の傷は深刻で新婚生活を混乱に陥れることしばしばでした。

人の愛には限界がある。
最後は捨てられるのではないか。

その恐れはちょっとしたことで強くなり、結婚に執着するほど不安定な感情に支配され、夫を苦しめてしまいました。

「やっぱり私は幸せを期待してはいけない人間なんだ」と沈み込む私を教会に連れて行ったのは夫でした。

私自身も心から「もう疲れた。癒されるなら癒されたい。神様がいるなら助けてほしい。」と思いました。

次第に、聖書のことばは私の心に入ってきました。

聖書の神様は父なる神様です。
私は神の子とされたと聖書は語ります。

そしてこんなふうにも宣言しています。

『神ご自身、「わたしは決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにしない。」と言われました。』(ヘブライ人への手紙)

『女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも、わたしがあなたを忘れることは決してない。』(イザヤ書

ここまで読んでくださった方なら、この聖書のことばが、どれほど私を慰めたか想像していただけるのではないでしょうか。

私の救いは、父なる神との出会いであり、絆の回復でした。

長い時間をかけて私の信仰生活は豊かにされ、いま、はっきりとこう言うこ とができます。


―― 私の傷は癒されました   ――


私は未来に揺らぐことのない希望を持っています。
決して捨てられることがないと信じています。ひとりぼっちにされることは、もはや決してありません。安心することができます。

私の傷は癒されました。

いまは傷痕があるだけです。その傷跡は、与えられた幸福のあり得なさを忘れないための、恵みの印なのです。

『あなたたちは生まれた時から負われ、胎を出た時から担われてきた。同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。』 (イザヤ書


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