愛の確かめ方
「壁ドン」という言葉を最近よく聞く。
イケメン男子が女子を壁際に追いつめる格好で突然迫り、決めゼリフ的な告白をするシーンを指すらしい。
昭和世代の私には縁遠い世界だけど、想像したら胸キュンかなと少しはわかる。愛の告白スタイルも時代と共に変化しているのだろう。
メールもない青春時代を過ごした私にとっては、ラブレターは大いに主流だったように思う。書くときのドキドキ、渡すとき(あるいは投函するとき)のドキドキ、その後の反応を待つときのドキドキ・・・。手紙って、やっぱり特別 だと思うのは私が古いのかな。
聖書は神様からのラブレターだと聞いたことがある。長い長いラブレターだ。確かに難解な部分もある。しかしそこには、創造主なる神様が私たちをどれほど心にかけ ているか、どのような愛で愛しているか、実際に人間の歴史と現代の私たちの日常にどんな働きをしてくださっているか、未来にどんなご計画 を持っておられるのか、などがびっしりと書き綴られていると言っていいと思う。
神様は告白してくださる神様。
そして、私たちの愛を求め、 応答を待ち続けてくださる神様だ。
神様が壁ドンのようにぐっと私に迫って、ご自身を示してくださったような体験がほんの数回だけど思い出せる。まるで主の息づかいが感じられるように近く、神様の愛に圧倒されるようだった。
そのどれもが、胸がつぶれそうに苦しく追いつめられていた時で あり、一人で神様を思っていた時の出来事。
思い返すと、神様からの壁ドンで私から引き出された応答は、まず悔い改めだった。胸キュンとは 全く違う、心からの「ごめんなさい」に導かれた。もちろん告白を断る「ごめんなさい」ではない。
では、何についての「ごめんなさい」なのか。
あなたの愛から離れていて、ごめんなさい。
あなたの約束を疑って、ごめんなさい。
あなたの言葉を無視して、ごめんなさい。
あなたを信頼しないで、ごめんなさい。
まるで自分一人で悩み苦しんでいるような気なって、あなたがいないかのように考えてしまって、ごめんなさい・・・。
そのうち、自分が的外れなところに解決を求めて疲れ果て、自分がかわいそうだと被害者意識に陥って、失望していた事実がわかってくる。
私がバカでした。
間違っていました。
何もわかっていなかった。
私は不信仰でした。
本当にごめんなさい。赦してください・・・。
謝罪の繰り返しのようだけど、「私に必要なのはあなたでした。あなたから離れては生きていけません」という私の真実な告白だ。
あまりに聖なる神様の迫りに対して、「愛しているよ」「私も」なんて対等な物言いは私にはできない。ひれ伏すような気持ちにさせられる。そういうプロセスを経て、主の腕に抱きとめられる平安に戻されたと思う。
このように真実に愛を確かめ合って堅く結ばれている時に、割って入ってこれるものは何もないのではないか。
否定的な考えも投げやりな思いも、心配や被害者意識も吹き飛んでしまう。状況は変わらなくても、私の心はもはや全く違う世界を見るようになる。
ただ、体験はあくまで一時的だ。
壁ドンの幸福感の余韻も時間が経てば薄れていくのと同じ。神様との絆も「神を感じる体験」を土台にしてはいけない。現象や状況で神の愛を確かめようとするなら必ず落とし穴がある。感じる感じないは単なるフィーリングで事実と違うことがいくらでもある。
たとえば、電車の中で知人と目が合ったのに無視されたと感じて腹を立てたとする。事実は、その人は目が悪くて気づかなかっただけ、なんてこともあるだろう。
刺激に対して反応するフィーリングは自分本位で変わりやすい。キッカケさえあれば、 好きは嫌いになるし、嫌いは好きになる。自分の直感やフィーリングを信用し過ぎないように私は心がけている。何より、真実に愛し合う関係はフィーリングでは決して築き上げられないと信じている。
神様の心は聖書によって理解し信じるものだと思う。人の心は変わりやすいけど、神様は永遠に変わらない方。神様は私たちの日々に愛の表現をちりばめてくださっているけれども、その頂点であり究極の愛の証拠は神の御子イエス・キリストの十字架だ。これ以上に確かなものはない。
『私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自 身の愛を明らかにしておられます。』ローマ5章
聖書を通してイエス・キリストの十字架を仰ぎ見るなら、神の愛が迫ってくる。
十字架の愛は生涯かけても知り尽くすことなどできない。知り尽くすことはできないけれども、ますます知っていくことはできる。自分のための十字架の前に立つなら、私たちは神様に告白せずにいられないだろう。
「神様、ありがとうございます。私はあなたのものです。あなたに信頼します。あなたを心から愛します。お従いします。あなたの望まれるところへ私を導いてください。あなたが喜ばれる者に私を変えてください。」