天国途上 〜生きること思うこと〜

イエス・キリストを信じて、聖書を学び続けながら、ほんとうの幸せに出会いました。 私の日常は平凡なのに感動があふれ、問題や失敗もあるのに希望があふれています。 人生はそのゴールである天国へ向かって変えられ続けています。こんな私が日々思うことを公開します。 仙台市郊外にあるプロテスタント教会在籍。

自己嫌悪からの解放

無性に自分が嫌になること、ありませんか。

自分自身にだけでなく、ささいなこと一つ一つにため息が出てしまうような時。

女性の場合は生理周期の関係で、ホルモンバランスからそういう傾向が強まる期間があるのも事実らしい。体調不良や疲れによる影響でも起こるだろう。

理由がわかっていたとしても、こういう時は結構しんどいものだ。頑張ろうとしても気分が沈み、前向きに動けないことが次の失敗を招いたり、落ち込みに拍車をかけたりする。つくずく「自分というものは自分で望む通りにコントロールできないものだ」と思う。

しかし、私が不安定になることがあっても、私を支え導くイエス・キリストは安定していてびくともしないのだと知るようになって、私は自己嫌悪の落とし穴にはまりにくくなったと思う。

自分が嫌になる時に私が実践しているのは、フォーカスを聖書の真理に定めること。

「どうしてこうなるのか」「どうすべきか」などと原因や解決策を考えても、こういう時の思考はあてにならないことが多い。

まず理想(目標)と現実を比較するのはやめる。
他の人と比較しているならそれもやめる。
頭の中の自問自答をストップし、聖書が語っていることを意識的に考える。
疲れているなら休むこと。
情けない自分を赦すこと。

私はイエス・キリストを自分の救い主、そして私の主と信じている。私の行動が従順で積極的であろうと、不従順で消極的であろうと、主が主であるという事実はもはや変わることはない。私はいつだって主のものだ。

聖書では、イエス様とイエス様を信じる者との関係について色んな表現で語られている。

たとえば「羊飼い」「羊」

聖書に親しんでいる人なら、すぐ詩編23を思い出すだろう。私も大好きなので、少し長いけど紹介す る。

主は私の羊飼い。
私は乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。
あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
私の敵の前で、あなたは私のために食事を整え、私の頭に油を注いでくださいます。
私の杯は、あふれています。
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。
私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。

細かい説明は控えるが、羊飼いであるイエス様が羊である私の世話をしてくださり、平穏な時も苦しい時も共にいて、最善を成して守ってくださる、ということを覚えることができる。

羊は自分で自分の身を守ることができない動物だそうだ。そんな自分を情けないと嫌がるより、羊は羊なのだから羊飼いに信頼して安心して世話になればいい。感謝し、喜んでいればいいのだ。

自分が嫌になる時には、自分が自分を責めて裁いていると言えるだろう。いつの間にか、自分が自分の主人になってい るような構図。あるいは誰かに言われた批判的な言葉を自分自身も採用して自分に向けて繰り返し突き刺しているようなパターン。昔はほとんど無意識でこのパターンに陥っていたことを思い出す。この落とし穴から私を救出してくれた聖書のことばもう一つ紹介しよう。

『あなたはいったいだれなので、他人のしもべをさばくのですか。しもべが立つのも倒れるのも、その主人の心次第です。このしもべは立つのです。なぜなら、主には、彼を立たせることができるからです。』(ローマ14章)

この聖句は前後の文脈を見ると、クリスチャン同士で見下したり、批判したりすることを戒めている箇所とわかる。文脈の前提を忘れてはいけないが、私は自分が自分をさばいている時にもよく思い浮かべる。

責めている自分は何様だ?
誰に向かって裁いているんだ?

弱くても確かに私は「主のしもべ」であり、私が倒れるか立つかは「主にかかっている」という事実、そして「主が私を立たせる」と保証している事実にフォーカスする。

そうすると、自分が自分を鞭打って立たせようとするのは無意味であり、主である神様が望んでいないことだと確認させられる。

自分で自分を良くできないことは問題ではない。

聖書は、私たちが自分で自分を良くできないことを当然の前提としている。自分を苦しめている問題の正体は、主を信頼していないこと。主が誰なのかを忘れていることだ。

それに気づくなら、落とし穴の中にすら主が共にいてくださったことが見えてくるだろう。



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