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天国途上 〜生きること思うこと〜

イエス・キリストを信じて、聖書を学び続けながら、ほんとうの幸せに出会いました。 私の日常は平凡なのに感動があふれ、問題や失敗もあるのに希望があふれています。 人生はそのゴールである天国へ向かって変えられ続けています。こんな私が日々思うことを公開します。 仙台市郊外にあるプロテスタント教会在籍。

クリスチャンライフに苦しむあなたへ

昨年8月に書いた“教会”に疲れたあなたへ - 天国途上 〜生きること思うこと〜が注目記事に留まり続けている。

また、東京在住の友人たちから「しばらく教会を離れることにした」という連絡を重ねて受けて、その背景にある問題や痛みを思わされている。安易にどうこう言えることではない。

「信仰が守られますように。誠実に聖書を教えてくれるあたたかい教会に導かれますように。」と祈りながら、 私は自分自身のことを思い起こしている。

教会に通い始めた頃、いや、洗礼を受けて数年たった時ですら、私は信じ切れない自分の心に落胆を覚えていた。クリスチャンになったのに何も変わらないと不満が募った。

教会と無縁だった頃の方がまだ悩みがシンプルだったと考えてしまうほど心が疲れ、 「信仰」「救い」「教会」というものの意味がわからなくなっていた。

教会に行くのがつらくて、人間関係にもストレスを感じた。期待通りでないクリスチャンたちに戸惑い、うまくやれない自分をも嫌悪した。

聖書のメッセージが私を支えるはずなのに、疑いや不安がかえって強くなることが続いた。

例えば、マタイの福音書11章にはこう書かれている。

【すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。】

このように語られても、私が体験している現実は休ませてもらうどころか重荷が増えているような疲労感なのだから、 到底信じられない。

これからの方向性もわからず、信仰生活に希望がないと感じてさらに落ち込んでいく。教会がしがらみの一つのようにしか思えなかった。

「救われていると言われても幸せじゃないんだけど」と心の中で繰り返しつぶやき、空しかった。悪循環の日々だった。

聖書に書かれている通りに「本当にそうだ!」と確信できるならどんなにいいか、と何度思ったか知れない。

ほんの十数年前の私のことだ。

だからこそ、今の私は度々こう考えて、自らの 身に起きている導きの不思議に感動せずにいられないのだ。

「どうして私は、こんなに信じているのだろう・・・」

聖書にこう書いてあるーーと言える真理が何よりも確かな拠り所となって私を守っている事実の方が、頭で冷静に考えると不思議で仕方ない。

信じようと頑張っているのではない。現実がどうであっても、もはや、恵みの神を疑うことの方が無理なのだ。

あんなにボロボロだったにもかかわらず、信じる信仰へと導かれてきた。神様からの最高のプレゼント、全く一方的な恵み、あわれみに富んだ霊的祝福としか言いようがない。

かつての苦しい信仰生活の悪循環を逆転させた分岐点があるかと問われたら、私は「ある」と断言する。

それは、私が信じた(つもりの)「福音」を聖書を開きながら丁寧に学び直したことだ。

私は見事にわかっていなかった。自分勝手な理想と願望をごちゃまぜにした曖昧で的外れな“福音と思い込んだもの”を“信じたつもり”で信仰生活を歩んでいたのだから、思い込みに確かな実体はなく、理想と違う現実にぶつかれば疑いに飲み込まれるのは自然なことだった。

「信じれば救われる」と思っていても、何を信じるのか救われるとは何を意味するのか、私には明言できる答えがなかった。

いつでも戻ることができる確かな基準もなく、信仰の対象に実体がないのだから、私を支配するのは相変わらず自分の感情であり、その感情は周りの人たちや状況に左右され続けていた。

ここに書いたような状態に共感される方がいるなら、ぜひとも福音を丁寧に学び直す機会を求めてほしい。適当な教会が思い当たらないならインターネットでもまずはいいかもしれない。
(私は、ハーベストタイムミニストリーのHPにある中川健一先生のメッセージもよく聞いています)

逆転を実感するまでは時間がかかるでしょう。教会に傷ついてしまっているなら、なおのこと治療時間も必要かもしれません。人生の分岐点です。どうぞあせらず、福音の前に腰を据えて時間をかけてください。

福音の神、イエス・キリストに個人的にしっかり出会うことをあきらめないでほしいのです。真実な神様は求める者に恵みを注いで導いてくださると信じます。

私は決して立派な信仰者などではなく、順調な信仰生活を送っているわけでもありません。むしろ課題だらけの紆余曲折です。

しかし、たたただ恵みによって信仰が導かれていると、その一点においては確信しています。なぜなら、「私の心と人生からイエス・ キリストがなくなるなら絶望しかない」と心の底から思うからです。私を生かし支えているのは、まぎれもなく私の主イエス・キリストです。

主の御名があがめられますように!

新年がスタートしました。ブログを読んでくださっている方々の祝福を心よりお祈りします。


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