騒ぐ心、沈む心に、希望の出口を
これまでのパターン、今の自分の状態、置かれている環境、周りの状況や人間関係...。
そういうものを見つめながら、明日のことを考えるのはやめよう。
これからどうなるのか、何が悪かったのか…。
どうしよう、どうしよう、と漠然と思い悩むことを手離そう。
聖書には、「見よ」と注意喚起する言葉が実に多い。
無意識にせよ、習慣的せよ、ついついフォーカスしているものから視点を変えるために、私たちは日々語り掛けを必要としているのではないか。
【見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。】マタイ28章 (※わたし=イエス・キリスト)
【心騒ぐ者たちに言え。「強くあれ、恐れるな。見よ、あなたがたの神を。...」】イザヤ35章
【見よ。私は新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。】イザヤ43章
【まことに、神である主はこう仰せられる。見よ。わたしは自分でわたしの羊を探し出し、これの世話をする。】エゼキエル書34章
【見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。...見よ。わたしは、すべてを新しくする。】黙示録21章
信仰を働かせ、恵みによって自由にされた意志を用いてフォーカスを修正しよう。
天地万物を創造し、歴史を導き治めておられる方がどなたなのか。
この小さな私が、主とお呼びする神はどのようなお方なのか。
偉大なる主が、ご自身の真実をかけて語っておられる御言葉は、何を約束しているのか。
恵みの神、十字架と復活のキリスト、栄光の王である主のみことばを見つめながら、心を静め、穏やかさを保ち、今できることを考えよう。
主に信頼し、主を待ち望みつつ、目の前の小さなことを粛々と地道に行っていこう。
神様は、目的なく何事もなさらない。
主が把握しておられないことなど何一つない。
いま、この瞬間も、主の最善のご計画が進行していると、私は信じる。
私に今この経験を通らせることによって、
神様が私に気づかせたいこと学ばせたいことが、きっとあるはず。
この身に起きる全てのことを通して、主が私に学ばせたいと備えてくださっている真理を、私がへりくだって探し、見つめ、学ぶことができますように、主よ、助けてください。
私を、あなたが望まれるように造り変え続けてください。
【主の素晴らしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。】詩編34編