普通が普通ではないと気づく時
五月連休を利用して熊本へ行ってきた。
前々から阿蘇旅行を計画して温泉と登山を楽しむ予定でいたのだけれども、今回の地震の影響で当初予約していた宿は宿泊不可となった。
夫婦で話し合い、余震があるけれども旅行をキャンセルするのではなく、少しでも現地の応援になるようにしようということで登山ではなく災害ボランティアに参加を決めた。
営業している温泉旅館に予約を取り直し、阿蘇の麓、黒川温泉で連休はなかなか予約がとれない宿にゆったりと泊まることができた。
宿の方から伺った話では、4月末は宿泊客ゼロというこれまでになかった状態だったそうだ。何事もないように明るく接客している心の内は想像も及ばない。
断層なのか亀裂が道路を横切るように所々走っていて砂利で簡易的に補修してあるもののガタボコしていたし、ブルーシートの被災家屋や完全に傾いたり倒壊している家屋も目立っていた。田舎道まで再建が進むのはいつになるのだろう。
昼夜を問わず余震があり、いつどこで何が崩れるかわからない。
現地の方々が安心して眠れる日はいつになるのか。
一日も早く余震がおさまりますように...。
県外からのボランティアを受け付けていた西原村災害ボランティアセンターに並んで、被災家屋の修繕のお手伝いをさせていただいた。作業の最中も余震に備えて安全確保の注意が呼びかけられていた。断水もまだ続いている。
作業をするボランティアたちに頭を下げて感謝する老夫婦を前に、なんと返事をしてよいものか言葉につまる。何を言っても安易に感じて、こちらも頭を下げるばかりになってしまった。
最終日、雄大な阿蘇ドライブは真っ青な空に緑が映えて素晴らしかった。
美しい自然は変わらないのに、道路も観光名所もサービスエリアも混雑はない。
現地の方によると、GWとしては例年の一割程度の客足しかないという。
土砂崩れの危険があるのか、立ち入り禁止のロープが張られている見晴台もあり、熊本城はもとより観光地としてのダメージは測り知れない。
大好きな阿蘇、熊本。必ずまた行きます!
私たちは今日と同じような生活が明日も来月も来年も続くと漠然と信じ、その前提で色々と考えたり計画を立てる。
しかし、今日の生活が明日も同じように保たれている保証はどこにもない。
だから、今日が平和であり普通が保たれているなら、大いに感謝しよう。
「いつも通り」は当たり前ではなく、とても素晴らしい幸福だ。
東日本大震災のとき、約2週間ぶりにお風呂に入ったときの感謝と喜びをすぐに忘れてしまう私である。
今日も電気が使えることに驚かない。
慣れとは恐ろしい。
体調が悪いと神様に癒しを願うくせに、頭痛がない日に喜び祈ることがない。
今日も心臓が動いているからといって感謝を覚えない。
良くて当たり前...
安全、便利、快適なのが普通...
つらい思いをさせられるなんておかしい...
不利益を被るのは納得いかない...
嫌なものはとにかく遠ざけたい...
このどうしようもない身勝手な感覚こそ、不平不満の原因であり、人間の罪の現れではないか。
私たちが「普通」と認識する中身は本当に普通なのか。
驚きをもって感謝すべきことは山ほどあるのに気づかない。
気づいていないことにも気づかない。
しかし、神様の恵みは、恩恵に鈍感で感謝を忘れている者たちに、なおも惜しまず注がれている。
そう、まさに私のような者にも...。
恵み深い神様が喜ばれ、心から賛美されますように!