良い時も、悪い時も、色々あります
ぽとん...と何かの穴に吸い込まれてしまったみたいに、気づいたら見える景色が変わってしまっていることがある。
心が自分のものでなくなったように反応が悪くて、
自分だけ取り残されたような心細さが広がる...。
希望と喜びで見えるものがキラキラしていたのに、なぜか今は色あせている。
信仰の躍動感はどこにいってしまったのか...。
私、神様から離れてしまった?!
どうしよう、どうやって戻ったらいいんだろう...。
あれをしたのが悪かったのかな、こうしなかったせいかな...。
この穴から一刻も早く這い出したくて焦る気持ちが、自分の欠点探しに拍車をかける。
こんな時の原因探しは、恐れや失望を増大させていく。
ちょっと待った!
自分自身を見つめ、絶望感や自己嫌悪に陥ることこそ、本当の罠だ。
私のコンディションはこうも変わりやすく、愚かしく、頼りない。
しかし、主は、常に真実であり、昨日も今日も永遠に変わることがない。
主が賛美されるべきお方であり、信頼に値するお方であることは何も変わらない。
たとえ、私が最低最悪のときでも...。
私の望みは、ただ主にある。
主は決して私を離れたりなさらない。
見える景色が変わることがあっても驚くことはない。
主が共にいてくださることが決定的なのだ。
私にはわからなくても、主はすべてをご存知だ。
自分のフィーリングに右往左往しないで、主に信頼しよう。
恐れるな。
騒ぐな、焦るな、私の心よ。
取り繕い、装い、隠す必要もない。
静まって、主を待ち望め。
十字架のキリストが、私の神なのだから...。
詩編6より
主よ。御怒りで私を責めないでください。
激しい憤りで私を懲らしめないでください。
主よ。私をあわれんでください。
私は衰えております。
主よ。私をいやしてください。
詩編37より
人の歩みは主によって確かにされる。
主はその人の道を喜ばれる。
その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない。
主がその手を支えておられるからだ。
詩編40より
私は切なる思いで主を待ち望んだ。
主は、私のほうに身を傾け、私の叫びをお聞きになり、
私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。
そして私の足を巌の上に置き、私の歩みを確かにされた。
主は、私の口に、新しい歌、われらの神への賛美をさずけられた。
多くの者は見、そして恐れ、主に信頼しよう。