「思い通りにならない」と嘆きたくなる夜に
気落ちさせる出来事がある。
周りの人たちが期待通りでない。
家族が願い通りになってくれない。
職場、学校、教会、地域、環境が、望み通りでない。
何より、自分自身が、ちっとも思うようにならない。
何もかも良くならない。
いや、悪くなっていくばかりではないか、このままずっと...。
私たちの感情は自分自身を欺く、と聖書は指摘している。
その通りだ。
まるで自分から見える世界がすべてであり、自分が感じていることすべてが真実であるかのように現実を思い込み、その感情に支配されるとますます自分が見ているようにしか物事が見えなくなる。
これも聖書の示す「罪」の一面だと思う。
自分の状態の悪さだけがリアルに迫ってくると、嫌悪感や被害者意識の出番だ。
自分だけが苦しんでいるような気持ちに陥る。
甘えの心理に飲み込まれていく。
どこにも希望がないかのような絶望感が漂う。
誰の人生にも苦しい時があり、思い通りにならないことがたくさんある。
誰もが、耐えるしかない現実を抱えながら生きる者なのだろう。
自分だけじゃない。
あなただけじゃない。
それでも私は、言葉にならない気持ちを抱えながら呼べる名前を持っている。
「主よ。主よ。私の神様...」
と、すがることができる確かなお方を知っている。
なにも説明できなくていい、お名前を呼ぶだけで、主は私をわかってくださる。
なんという慰めだろう。
キリストである主のお名前を呼べることが、私の人生における最高の賜物、最大の力。
主のお名前を呼ぶ。
呼ぶ、呼ぶ、呼ぶ...。
そうしていると、少しずつ、何かが変わってくる。
しめつけられていた心が、ふっ...とほどけてくる。
神様の語りかけのように御言葉が思い浮かぶ。
何も思い通りにならない...そんなこと当たり前か。
だって私は神様じゃないんだから。
神様の思い通りになっている。
それを信頼すればいいことでした、そうですね、主よ...。
手応えがあろうと、なかろうと、なすべきことを淡々と行って、
一日一日を耐える力を与えてください。
私は、自分の感じることではなく、あなたの御言葉こそ真実だと信頼します。
私に忍び寄る欺きの束縛から、どうぞ守ってください。
私は永遠を思います。
地上においてはすべてが聖化につながり、天に召される時は栄化が実現し、すべてがはっきりとわかる日が来ると信じて待ち望みます。
あなたの御心が、この身に、この地になりますように...。
イザヤ書55章より
わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、
わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。
--主の御告げ--
天が地よりも高いように、
わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、
わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。
雨や雪が天から降ってもとに戻らず、
必ず地を潤し、
それに物を生えさせ、芽を出させ、
種蒔く者には種を与え、
食べる者にはパンを与える。
そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、
むなしく、わたしのところに帰っては来ない。
必ず、わたしの望むことを成し遂げ、
わたしの言い送った事を成功させる。
まことに、あなたがたは喜びをもって出て行き、
安らかに導かれて行く。