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天国途上 〜生きること思うこと〜

イエス・キリストを信じて、聖書を学び続けながら、ほんとうの幸せに出会いました。 私の日常は平凡なのに感動があふれ、問題や失敗もあるのに希望があふれています。 人生はそのゴールである天国へ向かって変えられ続けています。こんな私が日々思うことを公開します。 仙台市郊外にあるプロテスタント教会在籍。

人生に心配はつきもの、だけど...

心配事がありますか。

将来に不安がありますか。

病気や老いることが怖いですか。

 

私自身、そういう気持ちになることが全くないと言えば嘘になります。

 

聖書には、「思い煩うな」「恐れるな」という言葉が繰り返し出てきます。

私たちは、思い煩いに陥りやすく、恐れにとらわれやすい者であり、日々このような語りかけを必要としている存在ではないでしょうか。

 

思い煩いや恐れで頭がいっぱいの時、どうしたらよいのでしょう?

そういう時はそれなりの原因もあるわけで、心理的に追いつめられているとも言えます。

不安で苦しい状態が続くと、私たちは具合が悪くて、不自由で、孤独です。

自分ではどうすることもできないから、「助けてください」と祈るかもしれません。

祈ってみても楽にならないと、神様に見捨てられたように感じるかもしれません。

自分が嫌になったり、不幸だと嘆きたくなったり、誰かを呪いたくなるかもしれません。

 

 

いつだったか、聖書のメッセージで次のように聞いたことがあります。

 

---思い煩いは罪です。神ほど真実な方はいないのに、そのお方の力も愛も約束も信用しない不信仰の罪。だから、あなたがクリスチャンであるなら、思い煩っている時にまずすべきことは、悔い改めることです。---

 

ガツンと頭を殴られたようでした。

自分のつらさで盲目になり、自分がひどい間違いを犯しているとは少しも考えなかったからです。 

「神様の愛を疑いやすく、祝福の約束も信じないで不安になる罪、神様が共にいてくださるのに恐れる罪、自分の思う通りにいかないと満足できない自己中心の罪、救いの恵みを忘れる恩知らずの罪を赦してください。私が愚かでした。悔い改めます。」

...と、まず主の前に謝らなければならない自分がいることに気づかされました。

 

自分の落ち度に全く気づかず、一方的に勝手な期待をし、要求が通らないと裏切られたように嘆く。失望し、関係も冷める...。

私自身、そういうものをもっていると認めざるを得ません。

人間同士だとしても、なんと失礼な態度でしょう。

まして、相手は完全なる神なのです。

神を神とも思わないでいた私たちのために、あがないの十字架を負って死んで復活してくださった救い主なのです。

必要なのは悔い改め...全くその通りだと思います。

 

思い煩いで苦しいなら、聖書が教えている真理を思い出す時です。

神がどういうお方か、神のことばは何を約束し、私たちにどうあれと命じているか。

不安で仕方ないなら、とりなして祈ってくれるように願い出る時です。

霊的守りが働いて、執拗に心を脅かす欺きの声は砕かれ、自由への道が見えてくるでしょう。

 

 

【神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。】ローマ8章

 

この聖句一つでも、正しく理解し、ほんとうに信じて自分を任せることができるなら、私たちの心と生活はどんなにか守られ、喜びにあふれるのではありませんか。

 

心配事、失敗、性格的短所、様々な限界、病気、衰え、喪失、困難、不都合な諸事情、難しい関係、社会問題、それらは神が働かせる「すべてのこと」の中に含まれていないのでしょうか。

いいえ、すべてと言うのですから、そこに含まれないものは何もありません。

神様は、みこころのままに、私たち一人一人がキリストに似た者へと変えられるために、すべてのことを働かせて必ず目的を達成されます。

神様には、想定外も失敗もなく、途中放棄もあり得ません。

自分に良いものが見当たらなくても、現状が思わしくなくても、むしろ主への確かな信頼を学ぶために、最高の機会を得ているのかもしれません。

 

福音により、イエス・キリストを信じて、創造主なる神と和解していること。

これこそ決定的な、最高の幸福なのです。

キリストの福音にいつも戻り、神様に信頼することが勝利です。

 

神様、聖書を教えられ、信仰を与えられた幸いを心から感謝します!

 

【信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。】エペソ6章

 

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