つぶやきがこぼれる時
今週の礼拝メッセージで教えられたことを繰り返し黙想している。
それは「希望を奪う愚かなつぶやき」と「希望を生み出す確信」について。
私自身、心の中でつぶやくことが多い者だと気づかされる。
良かれと思ってやったことが裏目に出た時など、やりきれない気持ちをひきずる。
私たちは、意志を働かせて「希望を生み出す」選択をしなければならないだろう。
希望を奪う愚かなつぶやきとは、
神様はわかっていない...。
神様は助けてくれない...。
神様は私が祈っても何もしてくれない。
神様は私に良くしてくださらない。
私は神様に愛されていないのではないか...。
つぶやきは、思い通りにいかない苦しい状況や解消されない悲しみや疲れ、長引く不安など、それなりに理由があるから出てくる。
自分はクリスチャンだと思っても、イエス様を信じていると言っていても、神のことばである聖書を知らなければ、聖書から真理を学んでいなければ、状況と感情に私たちは揺さぶられ続ける。
しかし、感情が何を訴えても、聖書の真理に信頼するなら、希望が見え始める。
その希望は悲しみや苦しみの中で私たちを支え勇気づける。
信頼がポイントだ。
聞いて知っていても、いざとなると信頼して歩まない傾向が私たちにはあるのではないか。
希望を生み出す確信とは、
神様は全知全能の神。すべてをご存知で、すべてを見ておられる。
神様にできないことはなく、その力、その英知は測り知れない。
神様は愛である。あわれみ深く、恵み深い。
神様は私たちの祈りを確かに聞いておられる。
神様は、私たちのほんとうの最善をご存知で、神様の英知で常に最善を進めてくださっている。
問題は、「自分は神様よりわかっている」という勘違いにある、と牧師先生は指摘された。その通りだと言わざるを得ない。
その誤りから、神様への不満、疑いの感情が芽生える。
そして、自分の感じていることを基準にすると、霊的に漂流し始める...。
牧師先生のたとえがインパクトがあってわかりやすかったのでシェアしたい。
私たちはノアの箱舟のように完全な真理の内に守られているのに、嵐に襲われると、なぜかノアの箱舟からわざわざ簡易的な救命ボートを出して荒波の中を避難しようとする。どちらが安全なのですか。救命ボートで平安を得ることはありません。だれの人生にも嵐は100%やってきます。しかし、決して沈まない真理の箱舟に留まっていれば守られるのです。
自分に思い当たることがありすぎて笑ってしまった。
救命ボートを自力でこぎながら、「神様、なぜですか」と嘆いていることがなんと多いことか!
つぶやきが出たら、希望を生み出す確信を選択するチャンス。
そう心に刻みながら、「みことばの真理の内を歩ませてください」と祈っています。
【主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。】イザヤ40章