PLANT & WATER
【私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。】第一コリント人への手紙3章
ガーデニングの話ではない。
ガーデニングにたとえて、人が育っていくことを語っている。
人の心に福音の種が植えられ、芽生えた信仰が成長するように必要な世話がなされて、信仰者が生まれ育つことのたとえだ。
そこには、愛と忍耐と知恵、継続的な関わり、適切な栄養と保護、剪定にあたるような痛みの伴う取り扱いなど、様々な要素が含まれるだろう。
今年の夏、この聖書箇所を中心に “PLANT & WATER” というテーマでメッセージを聞き、新鮮なインパクトをもって多く教えられた。
物事の見方や自分自身の人生観もまた新たにされた。
この“PLANT & WATER”は、私のクリスチャンライフそのもの、生涯かけて取り組む生き方として私の心に刻まれた。
そして、そのような意識を持ちつつ実際に行動する中で、さらに恵みが深まり、平凡な毎日に喜び、挑戦、感動、感謝が増し加わっている。
なんという幸い!
人が福音を理解し、イエス・キリストを信じて救われるのは、ただただ神の恵みによる。
人の功績が入る余地はない。
しかし同時に、神様は、私たち人間の関わりを尊く用いてくださることも、さきほどのみことばで確認できる。
私が今回、新鮮に理解したことは、複数の人がその場その場で関わって、いろんな人のいろんな “PLANT & WATER” が積み重なって、神様の御計画が実現するという視点。
いい意味で気負わなくなったというか。
伝道の考え方にも柔軟性を与えてくれた。
変化らしいものがすぐ生じなくても、小さな関わりは価値ある1PLと理解した。
“1PL”というのは、私が勝手に造語したもので、貯金箱にコインを一枚入れるイメージ。
いろんな人が、今日もチャリン、明日もチャリン、と入れる。
貯金箱は人の心にある愛の入れ物とでも言おうか。
ある人は気持ちのいい笑顔を家族や同僚に与えてチャリン、
ある人は明るい言葉で周りを元気づけてチャリン、
ある人は誰かの救いや成長のために祈ってチャリン、
ある人は困っている人の手助けをしてチャリン、
ある人はゴミ捨て場の片付けをしてチャリン、
ある人は教会の奉仕を申し出てチャリン、
ある人は素直に謝ってチャリン、
ある人は夫を重んじてチャリン、
ある人は伝道コンサートに知人を誘ってチャリン、
ある人は誰かの痛みに温かな同情を示してチャリン、
ある人は食べ盛りの学生を食事に招いてチャリン、
ある人は福音の真理をわかりやすく伝えることに苦心してチャリン、
ある人は寂しそうな子を笑わせて楽しませてチャリン、
ある人は忙しいシングルマザーに慰めを与えてチャリン、
ある人は悩みを訴える人に聖書の真理で答えてチャリン...。
あらゆることを、“PLANT & WATER” の意識で行うことができる。
その貯金箱の中身がどうなったかは神様だけがご存知だし、神様がどう用いるか、何を実らせるかは、誰にもわからない。
私のチャリンが満杯の瞬間になるかもしれないし、何の動きもない途中の一枚かもしれない。
かりに、満杯がその人が信仰告白して救われる瞬間だとしても、決定打が誰のタイミングだっていい。
その人が新しい命を喜び生きるようになるのなら。
その人の本当の幸福のために少しでも協力させてもらえた、それが幸せだ。
いつ、だれが、どこで刈り取るかわからない。
どこかで、だれかが、その実りを見るかもしれない。
何より神様は、そのプロセスのすべてを知っていて導き、用いてくださる。
私は、“PLANT & WATER” を意識するようになってから、友人知人に限らず笑顔と挨拶、あるいは親切のチャンスを探すようになった。
たとえばウォーキングの時、もし目が合うなら明るく挨拶して通り過ぎようと決めた。
じろじろ見たら失礼だからさりげなく、でも目が合わないように避ける態度とは違って目が合ったらいいなと、祈りながら顔を上げて歩く。
無視されることもあるけど、いずれにせよ、1PLなのだからOK。
以前よりずっと挨拶を交わし合うことが増えた。
私の行動範囲にいる人たちは、みんな “PLANT & WATER” の対象だ。
いつでも “PLANT & WATER” のチャンス に立っていると覚えたい。
たった一度しか会わない人であろうとも、何かの形で1PLできるかもしれないのだから。
“PLANT & WATER” の毎日は使命感を伴って新鮮になり、感謝と祈りが深まっている。
私は、主であるイエス・キリストの素晴らしさを伝えたくてたまらない。
このブログも、そんな思いが書かせている。
読んでくださっているあなたの心にも、私からの1PLが届きますように。