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天国途上 〜生きること思うこと〜

イエス・キリストを信じて、聖書を学び続けながら、ほんとうの幸せに出会いました。 私の日常は平凡なのに感動があふれ、問題や失敗もあるのに希望があふれています。 人生はそのゴールである天国へ向かって変えられ続けています。こんな私が日々思うことを公開します。 仙台市郊外にあるプロテスタント教会在籍。

「脱・無駄遣い」の秘訣

いよいよ12月。

なにかと慌ただしく、気ぜわしい師走だ。

お金もいつの間にか飛んで行く...。

 

私は聖書を信じるクリスチャンなので、お金も時間も、自分の命や人生も、肉体や能力、家などの所有物も全ては創造主なる神様のもので、私はそれらの管理を委ねられていると信じている。

だから私は管理者として、真のオーナーである神様の喜ばれるような使い方をすることが与えられている責任だと理解している。

 

そう理解してはいるが、管理者としてはなはだ課題の多い者である(トホホ...)。

 

女性全般の弱点なのかわからないが、私は小さな衝動買いを重ねてよく失敗する。

高額な物には予算や所持金の都合もあるし、まずまずブレーキが効く。

ところが、「お手頃価格」や「今だけの特価」に弱い。

ちょうど必要な物でもないのに「ほしい!」と感じる。

クリスマス&年末で出費が増えるのは当然という感覚が作動し、街中が買物シーズンを演出してくるから、なおさら無意識で流されやすい。

後で家計簿をつけながら何度自責のため息をもらしたことか...。

 

しかし、やたら出費をしぶるのが管理でもない。

私にとっては、クリスマスの献金は様々出費をした残りからひねり出すものではなく、すべての恵みの源であるイエス・キリストをほめたたえて最優先で取り分け、精一杯をささげたい。

 

ふさわしいところに、ふさわしく使うのが良い管理だ。

 

誰かをもてなしたり感謝の表現として使うお金をケチりたくはない。

助けが必要な人たちにも出し惜しみせず支援したい。

もちろん、自分自身や家族の喜びのために良い買物をしたい。

それらを自分に委ねられている家計に見合った分配で賢く考えなければならない。

 

 

弱さを自覚する私が実行していることの一つは、買物の前に祈ることだ。

 

「神様、良い買物をさせてください」

「欲に目がくらんで余計なものに手を出したら、やっぱり要らないと気づかせてください」

「今から試着するので、本当に似合う一着を気持ちよく決断できるように導いてください」

 

このような祈りによって、かなり実際的に助けられていると思う。

 

 

祈りに神様が答えてくださると知るがゆえに、別の誘惑と戦うこともある。

神様の介入から逃れて思う存分買物したいから、祈りたくない...と考えることがあるのだ。

 

神様に相談しないで、口出しされずに勝手に決めたい。

借金するわけじゃないし、私の財布で私の好きにしたからって何が悪いわけ?

 

こういう反抗的な自我が働く時こそ、意志を用いて祈る選択をすべき分岐点だろう。

すべて神様のものなのに自分の思うままにしたいという欲望は、いつも巧妙に出番を狙っている

これくらいいいじゃないか、たまにだから、クリスマスだし...、言い分は次々に背中を押す。

 

しかし金額の大小とは関係なく、その心のあり方こそが罪であり破壊的な落とし穴だと気づかなければならない。

神を押しのけて自分がオーナーであり主権者になりたいわけだから...。

 

欲望も誘惑もなくなることはない。

自分でそれを制圧することもできない。

 

それでも、自分の罪深さや弱さを知って主の助けを求めるなら恵みによって守られる

欲望の奴隷ではなく、主の前で恵まれた良き管理者として、顔を上げて清々しく生きる道がきっと備えられる。

それは、いくらかのお金を好き勝手使うこととは比べ物にならないほど、豊かで幸せな人生に違いない。

 

  主よ、あなたの恵みで私を罪から守ってください。

  あなたの真理の内に留まる道を絶えず歩ませてください。

 

【それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。】第一ペテロ4章

 

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