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天国途上 〜生きること思うこと〜

イエス・キリストを信じて、聖書を学び続けながら、ほんとうの幸せに出会いました。 私の日常は平凡なのに感動があふれ、問題や失敗もあるのに希望があふれています。 人生はそのゴールである天国へ向かって変えられ続けています。こんな私が日々思うことを公開します。 仙台市郊外にあるプロテスタント教会在籍。

クリスマスを喜び祝うために

美しい飾り付けを施し、クリスマスを特別に祝うシーズン。

教会では特別なプログラムを準備し、チラシも作成して、普段は礼拝に集っていない家族や友人知人、地域の方々に足を運んでいただきたいと祈りつつ働きかける時でもある。

 

これを読んでくださっているあなたが、いつも教会に通っておられる方でないなら、ぜひこのクリスマスの礼拝に集ってみてほしいと心から祈ります。

イエス・キリストとの出会いを求めるあなたを神様が祝福して、聖書が真実に語られる良い教会に導いてくださいますように...。

今年のクリスマスが、あなたの人生のBefore Afterを分ける日となりますように...。

 

 

もしあなたが、いつも教会に集っておられるクリスチャンの方なら、このような質問をさせていただいていいでしょうか。

 

あなたの教会は、教会に不慣れな方にも親しみやすく温かく、居心地の良いところだと思いますか?

 

では、あなたご自身は、教会に来られた方に対して親しみやすく温かく、ご自分から挨拶したり、親切に関わることに努めておられますか?

 

 

こんな質問を思い浮かべたのには経緯があって、先日教会の仲間たちとミーティングをしていた時に、私自身が昔やってしまった失敗を鮮明に思い出したからだ。

 

初めて教会に来た人が戸惑うような歓迎がある。

たとえば「ハレルヤ〜感謝します!」といきなり握手するとか、プライベートなことをしつこく聞いたり、馴れ馴れしくしすぎてしまうとか。

一方で、まるっきり無視されているように笑顔を向けられることも声をかけられることもなく、不慣れな方が放置されているようなら、どんなに素敵な演出をして盛り上がっていても疎外感を与えるだけになる。

 

10年以上前になるだろうか、牧師から聖書勉強を通して数名のグループでリーダートレーニングを受けながら、いま書いたような注意すべき視点も教えられた。

私は、当時の教会における問題意識を共有しつつ、礼拝に来られる方々に積極的に接する実践をしていた。

他の人たちはともかく、私は教えられたことを理解し、それなりにできている...と思っていた。そんな頃だった。

ある日、礼拝が始まる少し前、入口付近にいた私は用事を思い出して端へ移動した。

その矢先に、牧師が近づいてきて私にこう言ったのだ。

 

「あそこに立っている学生さんの目の前を、いま、自分が素通りしたことに気づきましたか?」

 

私は振り返ってハッとした。

全く気づかなかった。

つまり、その見慣れぬ学生さんは私の目に入っていなかったということだ。

わざとではないけれども、それは彼を目の前で無視したことを意味していた。

 

現行犯逮捕されたような羞恥と共に、無自覚の恐ろしさを教えられた瞬間だった。

私はこの時に注意された経験を心から感謝している。

はっきりわかるように注意してもらわなければ決して学ぶことができないこともある。

生涯の宝となる指導だ。

 

そのように当時を思い出して感謝を述べた私に、牧師は優しく言った。

「では、今度はあなたも、誰かをそのように指導してあげてください」

 

これまた、心に刺さる貴重な勧めの言葉をいただいた...。

自分が変えられて幸いだと言うだけではなく、他者も変化できるように関わること。

神様への愛、教会への愛、相手を本当に成長させたいという熱心と適切な識別力がなければ、無難でほどよい関わりを越えて踏み込む指導などできるはずがない。

失敗する、無力さに直面する、誤解される、反発される、嫌われる...そういったリスクを避けて安全地帯で自分を守りたいなら、チャレンジすることも無理だ。

課題は常に自分にあり、目の前にある...。

 

 

うちの教会はこうだ、あの人はああだ、愛がない、感じが悪い、気が利かない、と問題を見つけるのは簡単だ。

ああした方が良い、こうあるべきだ、と議論することもできるだろう。

しかし、そう言っている自分は果たしてどうなのか。

自分が本当は何をしているのか気づかないのが私たちではないのか。

 

イエス・キリストは十字架の上でこのように祈られた。

【父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。】ルカの福音書23章

 

このイエス様のとりなしの祈りは、今、この瞬間も私のためにある。

どこまでも赦しが必要な自分...。

救い主にあがなっていただくしかない私...。

あわれみ深く扱われ、ただ恵みによって導いていただいている私...。

 

イエス・キリストは、自分で何をしているのかもわからない身勝手な罪人のためにご自身を捧げようと、この地に降りてきてくださった。

ご自分を無にして、人となって、

降りて降りて降りて...、私たちの間に来てくださった。

それがクリスマス...。

 

あなたに救い主は必要ですか。

どれくらい必要ですか。

 

その答えがそのまま、真にクリスマスを喜び祝う心を決めるのではないでしょうか。

 

救い主イエスさまが喜ばれ、賛美され、真に礼拝されますように!

 

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