孤独に差し込む光
『世界で一番恐ろしい病気は孤独です。』
マザー・テレサの言葉です。
孤独は、肯定的にとらえられる面もありますが、関係の中に生きるように創造主によってデザインされた人間にとって、愛し合う関係を失った状態にある孤独は、やはり、見えない難病、深刻な問題と言えるでしょう。
このような苦しい状態を、聖書では罪の結果、つまり人間が創造主なる神に背を向け関係が断絶しているゆえの惨状だと教えています。(絆の回復 - 天国途上 〜生きること思うこと〜)
孤独といっても、その背景や状況は様々でしょう。
世界情勢や社会問題として孤独に追いやられている人々のことをここで論じるつもりはありませんし、確信をもって語れる知識も私にはありません。
しかし、私は、どんな孤独の深みにさえも共にいてくださるお方、慰めを与えることがおできになる救い主を知っています。
だから、そのお方を心から紹介したいのです。
もちろん、難しい時代における国家のリーダーたちの働き、社会の支援システムの発展、何より家庭というものが健全にあたたかく機能するように、神の恵みを乞い祈りたいと思います。
このブログは、私自身の正直なエピソードをもって、生ける神イエス・キリストを証ししたいと願って書き続けています。
イエス・キリストを信じて、神のことばである聖書を学び、その真理に生きる中で私の心と人生が変えられ続けているからです。
私の内にある暗闇の部分がまことの光によって照らされて、想像もできなかった大逆転が起き続けているからです。
私自身、幼い頃から心の奥に孤独を抱えて育った者でした。(傷の癒し - 天国途上 〜生きること思うこと〜)
しかし今は、孤独感が襲ってくることはあっても、孤独に飲み込まれることはありません。
何が起ころうとも主が共にいてくださると、聖書が約束している通りに信じているからです。
私は、一人密室の祈りにおいて、意識的に「アバ、天のお父さん」と呼びかけます。
【あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。】ローマ8章
「アバ」という言葉は聖書を学ぶまで聞いたこともありませんでしたが、聖書の舞台となっているユダヤの言語であるアラム語で「お父ちゃん」というような意味で、幼い子が父親を親しく個人的に呼ぶ時の言い方だと教わりました。
「アバ」でなくても、自分が小さかった頃に父親に対して使っていた呼びかけを、天の神様に対して親しく使えばいいとも学びました。
私は、肉親との関係が希薄だったので、この神の子としての呼びかけが自分のものになるまでとても長い時間がかかったと思います。
私は「パパ」と呼んでいたのですが、これを神様に対して使うのはどうしても馴染みませんでした。
だから、「父(ちち)」「お父さん」で一人の時に練習してみました。
でも、なんだか、やっぱり「人間」のイメージから抜けられず、大いなるお方に心が開かれていかないので、ある時から「アバ」を使って練習しました。
最初はもちろん違和感です。
しかし、密室で毎日のようにそう呼びかけて過ごしていると、「アバ」と呼んでいい親密な関係、大いなる父としての神、私の安らぎの懐である神がリアルになり、神様にもっと甘えて近づいていいんだというような解放感が心に広がるようになっていきました。
今では「アバ」の呼びかけを口にすると、むしろ大人のガードのようなものが解かれ、この自分が「神の子」とされている恵みが嬉しくて、神様にしっかり抱きとめられているようで胸が熱くなります。
全部わかってくださる方がいる。
永遠まで守ってくださる方がいる。
全責任を負って助け導いてくださる方がいる。
決して見捨てない、24時間365日ずっと共にいてくださる...。
私は、いつでもどこでも、心の中でも声に出しても、呼ぶことのできる名前を持っています。その呼びかけは空しい独り言ではなく、確かに聞かれ答えられることも知っています。
この真理が私から孤独感を締め出しているのです。
【主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、またあなたを捨てない。」】ヘブル13章