生涯現役
「あなたは現役ですか」
...と質問されたら、
あなたは何をイメージし、
どう答えますか?
現役であり続けたいですか?
スキージャンプの葛西紀明選手は45歳にして現役、さらに8度目のオリンピック代表も決まり、レジェンドと呼ばれている。
現役であり続けることの尊さ、年を重ねても勝ち続けることの難しさを誰もが知っているからこそ、期待と称賛の的だ。
華々しい注目の陰で、どれほどの地道で過酷な努力を継続しているのだろうと尊敬する。
聖書では私たちの人生を長距離走として語っている箇所がいくつもある。
『私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか。信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。』ヘブル人への手紙12章より
この聖書箇所を読むと、私たちの前には走り続けるべき競争のコースが置かれていることがわかる。
地上に命のある限り、私たちはこのレースにおいて生涯現役と言える者であるし、クリスチャンはいつでもそう認識しているべきなのだろう。
このレースでは、他者との比較やタイムの早さが重要なのではなく、むしろ忍耐をもって完走することに強調があると思われる。
目の前にどんなコースが展開しようとも走り続けるための秘訣は、イエスさまから目を離さないこと。
先日、ハーベストタイムミニストリーの東京定例会に参加する機会があった。
その礼拝で中川健一先生のメッセージで解き明かされたのがヘブル12章で、ちょうど今の聖書箇所についても語られて、とても恵まれた。
特に、信仰の創始者であり完成者であるイエスさまが完走されたコースを具体的に黙想させられて胸が熱くなった。
「イエス様が走られたコースは、まず天からベツレヘムです。この距離どれだけありますか?」と中川先生はおっしゃいました。
そんな視点で考えたこともなかったけど、気の遠くなるほどの距離...。
「物理的な距離だけでなく、霊的な意味ではどのくらいのギャップを越えてくださったと思いますか」と問いかけは続きました。
メッセージを聞きながら、なにか胸がしめつけられるような気持ちで思いめぐらし、次の御言葉が心に浮かびました。
『キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。』ピリピ人への手紙2章
イエスさまの完走されたコースは、下へ下へとご自分を徹底的に低くされる道であり、人に神の愛を100%に示す生き方でした。
完全な愛と義の方が罪人として十字架で処罰され、神の怒りの杯を飲み干し、復活され救いの道を切り開いて、最後の最後に天に昇って栄光の座に着かれました。
「イエスさまから目を離さないでいる」って、こういうことか...と私は感動しました。
感謝と喜び、賛美の思いとこのお方に従って行きたいという勇気が心の底からわきあがってきました。
イエスさまの姿を聖書から学び、正しく理解を深め、具体的に考え、黙想し続けることは、確かに信仰のレースを走り続ける力です。
天には、既に完走した勇敢な信仰のレジェンドたちがたくさんいます。
私には、私の前に置かれたレースがある。
あなたには、あなたの前に置かれたレースがある。
そのコースは全然違うものでしょう。
比較できるものでもないし、比較するものでもないでしょう。
だけど、
「イエスさまを見つめよう。イエスさまをもっと知っていこう。」
と励まし合いながら、共に走ることができるはずです。
イエスさまを信じたけど、期待した人生と違う?
信仰生活が思うようにいかなくて苦しい?
私はそういう思いで悩んだ時期が長くありました。
悩むのも無理ない状況があるとしても、引退しないでほしいのです。
大変でもとにかくがんばれ...と言いたいのではありません。
立ち止まってもいい、ゆっくりでもいい、イエスさまにフォーカスを合わせて、イエスさまを知ることを求めながら、生涯現役で完走を目指しましょう。
何歳になってもどんな状態であっても、私たちにはそれぞれ神様が備えてくださった競技コースを走り続けるという使命があり、栄冠の時への希望を抱いて生きることができる。
体の衰えを実感している昨今、私はこの真理に深い慰めと励ましを抱きます。
私は生涯現役です!
走り続けてほんとうによかった...そう言う歓喜の日を信じて...。
イエスさまから目を離さないで、ピントを合わせて、フォーカスをしぼって、
よく見えないなら学びを求めて、助けを祈って、一歩一歩...。