天国途上 〜生きること思うこと〜

イエス・キリストを信じて、聖書を学び続けながら、ほんとうの幸せに出会いました。 私の日常は平凡なのに感動があふれ、問題や失敗もあるのに希望があふれています。 人生はそのゴールである天国へ向かって変えられ続けています。こんな私が日々思うことを公開します。 仙台市郊外にあるプロテスタント教会在籍。

どんな準備をしますか?

神の時は必ずやって来る。

その時のために、神に用いられる準備をしておくことは大切なことである。

その時が来たなら、状況は驚くほど早く、また無理なく進展する。

私たちも、「その時」のために今から自分を整えようではないか。

 

私が活用しているディボーションガイド・Clay(ハーベスト・タイム・ミニストリーズ発行)の解説にあった言葉。

 

「神の時」「神の摂理」「神のご計画」という聖書の真理について、現代の私たちの人生にも働いている普遍的な原則としてこのところ繰り返し考えながら過ごすようになり、私は確かに力づけられている。

変わり映えしない主婦の毎日と望むことが閉ざされている現状に、ともすると曇りそうになる私の内面に光が差し込むのだ。

 

 

創世記のディボーションで、ヤコブの息子ヨセフを時間をかけて見てきている。

兄たちの悪意によってエジプトに売られて奴隷となったのが17歳、様々な試練の中で投獄されるも誠実に生き、ついにエジプト宰相として表舞台に立つのが30歳。

創世記の登場人物とその物語を丁寧に味わい、解説に助けられて恵まれている。

悲劇的と思える展開や予想外の出来事すらも、実現が遠くなる夢も、神様の摂理が働いていることを繰り返し教えられ励まされる。

 

不運ではない。

タイミングが悪いのでもない。

遅すぎず、早すぎず、全知全能の神だからこそできる絶妙さ。

その全貌なんて人には分かり得ない。

 

当事者としては「遅すぎる」と感じてしまう状況も、

祝福されているとは思えないような悲しい出来事も、

自分はもう終わりだ...とあきらめたくなる不遇な期間も、

神様の視点からは、用いるために召された者に必要な「集中治療室」であったり「特別訓練メニュー」なのだろう。

 

 

神の時は必ずやって来る!

 

あぁ、なんと力強く、良き知らせだろう...。

私は、神の時と神の方法に信頼する。

 

 

「その時」とは、究極的には主とお会いする携挙の時なのだろうが、それは大いに待ちこがれつつ、もう少し個人的な観点でディボーションの適用を考えてみた。

地上の人生において私が思い描いている「その時」、つまり閉ざされていた扉が開かれて物事が動き出すような時が来たら、どうしたいのか?

そのために、今、どんな準備をしながら生活できるだろうか?

 

 

信仰の兄弟姉妹との交わりを深めたい。

聖書の話、神様の話、キリストを中心に自身のことを正直に分かち合い、主の恵みとあわれみを求めて希望をもって祈り合いたい。

教会の様々なプログラムに参加し、仕えたい。

家をオープンにして若い人たちを招き、健康的な家庭料理でお腹を満たしてホッとしてもらって、さらに心も満たされるひとときを共にしたい。

家族ぐるみで付き合える仲間たちとお出かけしたい。

手助けを必要としてる人や孤独に耐えている人を訪問したい。

聖書を学びたいと願う女性たちと一緒に聖書勉強を重ねながら、聖書の真理を生きるために助け合う関係を築いていきたい。

夫婦そろって心から主を礼拝し、一緒にお祈りしたい。

キリストのために何かしようとする夫を助ける人生を体験したい。

 

 

そんな時が、ほんとうに来るだろうか?

現実的に考えてみてよ...もうあり得ないでしょ?

 

そんなささやきが心に浮かぶのも事実だ。

 

しかし私は、生きて働く全能の神を信じる。

神様の絶妙なご計画に期待する。

神の時が必ず来る、私に与えられた信仰と経験が用いられる状況が開かれる時が来ると信じて、ただひたすらに待ち望む。

 

だから、信じている者らしく準備しよう。

 

聖書勉強に時間を取り分けて、毎日の中で御言葉と祈りの充実に努めよう。

お料理のレパートリーを増やそう。

体力維持のための運動も習慣づけよう。

家庭が心地よく整えられているように家事を見直そう。

自分を欺いて他の何かで満足を得ようとする心を見張ろう。

 

そして何より、

助け手らしい妻としてのあり方を考えて練習し、夫の救いのために祈り続けよう...。

 

 

神様の時は、実現するまではいつなのか分からない。

だから自分の夢や計画を押し進めるのとは違う。

ただ神様の最善を信頼して、いつまで続くかわからない準備期間を誠実に歩む。

信頼して準備している生き方と、あきらめて成り行き任せにしているのとは、違いが明確に現れるはずだ...。

 

『信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。』

ヘブル11:1

 

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