ウチの子になったね...
ウチには猫が一匹いる。
この子は昨年の夏に我が家に来た。
保護された捨て猫の譲渡会で出会った。
生後二ヶ月ほどの子猫だったが、ゲージの隅でじっと動かない臆病な子だったからか、なかなか貰い手が決まらずに最後に残っていた一匹だった。
ウチに連れて来てキャリーから出すと、即座に人の手が届かないソファーの下に逃げ込んで出てこない。覗き込むと、おびえた顔で警戒している。
そっとしておこうと他のことをしている間にどこかに隠れてしまった。
エサを置いても食べに現れない。
そんなスタートだった。
ここに来るまでに怖い思いをしたのかな...。
果たして人に懐くのだろうか...。
逃げ隠れしないで部屋にいるようになってからも、自分からは近づいてこない時期が続いた。
何かの拍子に、子猫ながら精一杯背中を盛り上げながら毛を逆立てた威嚇のポーズをとる。
何が怖い?
怖くないよ。
名前を呼んでやさしく声をかけ、こっちを見ている時は意識的ににっこり笑顔を向けるようにしていた。
初めて私の膝に乗って来たときは感動した。
飼ってから一ヶ月ほど過ぎた頃だっただろうか。
そっと背に触れ、なでてやると、グルグルと喉を鳴らして体をリラックスさせた。
それ以来、みるみる懐いた。
私の後を追いかけてくる。
困らされることもあるけど、かわいくて仕方がない。
すっかり大きくなった猫ちゃんを抱きながら言う。
ウチに来てくれて嬉しいよ。
ありがとうね。
長生きしてね。
ちゃんと最期まで面倒みるから安心してここで一緒に暮らそうね。
神様、この子をありがとうございます。
今でも突然の物音に反応して逃げるとか、臆病な性格は残っているけど、普段はのびのびと好きにしている。
お客さんにまで甘えるようになった。
人間に対する認識が変わったのかもしれない。
そんな猫の変化を見ながら、私は思う...。
誰のもとで生きているのかが、知らず知らずに私たちの心理に大きく影響し、それが態度に現れてしまい、結果的に人生すら左右してしまう。
私は、恵みの神によって救われ、神の子とされた。
ご自身のいのちを捨てて私を救ってくださったキリストが、私の主となってくださった。
私を決して捨てず、永遠に共にいる...と約束してくださったお方のもとで、私は恵まれて生かされている。
イエス・キリストに出会っていただく以前の私にあった傾向は、完全になくなったわけではない。
しつこく残っている性質もまだある。
だけど、私は、安全と安心を知る者にされた。
びくびく、おどおどすることよりも、のびのびとし、喜々としていることが増えた。
私に向けられた主の恵みの眼差しが、いつまでも変わらない神の御言葉が、私を内側から変え続けているのだ。
主イエス様があまりに素晴らしいから、
私がどうであっても神様の愛が変わらないから、
安全と安心いう恵みの中に憩いながら、
主が喜んでくださる者へともっと変えられたいと願わずにいられない。
『お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあながたがを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。』エペソ4:32-5:1
安心していない心のまま行動を直そうとしてもうまくいかない。
まずは、神の子とされている真理をもっと味わい知ることが重要だろう。
私をご自身の子としてくださった神様はどのようなお方なのか、私をどれほど愛しているのか...。
それを正しく理解していくなら、私たちは心の底から喜びがあふれ、恐れは薄れていき、物事の見方も行動ものびのびと変えられていくに違いない。
そして、一つの願いが私たちを動かすようになる。
主ともっと近く、もっと親しく、ずっとずっと一緒にいたい...と。
あなたは、誰のもとで生きていますか?