天国途上 〜生きること思うこと〜

イエス・キリストを信じて、聖書を学び続けながら、ほんとうの幸せに出会いました。 私の日常は平凡なのに感動があふれ、問題や失敗もあるのに希望があふれています。 人生はそのゴールである天国へ向かって変えられ続けています。こんな私が日々思うことを公開します。 仙台市郊外にあるプロテスタント教会在籍。

ブログ開設

私は28歳の時にイエス・キリストを信じる信仰に導かれ、クリスチャンになった。
 
あれから17年が経ち、自分の内面や人生に起きている様々な変化を思うとき、私は神様による奇跡の連続に気づかされる。
 
その実感と感謝は年々大きくなるばかりだ。
 
そんな思いを友人によく語る私は、「ブログを書いてみたら?」と勧められることが幾度かあった。
 
読んでくれる人がいるなら書いてみたいとは思う。
 
しかし私はコンピューターに弱く、どうやったらブログができるのか考えただけで尻込みしてしまっていた。
 
先日、教会の友人が協力を申し出てくれた。
 
私が原稿を書きさえすればブログにしてくれるというのだ。
 
なんとありがたいこと!
 
急に心がわくわくして、ついにこれを書いている。
 
 
 
敬愛するクリスチャン作家・三浦綾子さんの著書に『生きること思うこと―わたしの信仰雑話―』(新潮文庫 昭和58年初版)というエッセイ集があって最近再読し、教えられ、励まされ、心を動かされた。
 
図々しくも、この書名をブログのタイトルに使わせていただくことにした。
 
自分の心や生活のあらゆることについて、神様と切り離しては何も考えられない、とはっきり意識するようになったのはいつ頃だろう。
 
教会に通うようになり、イエス・キリストについて教えてもらい、信仰を与えられ、さらに聖書に親しみながら生活するようになって、ずいぶん経っていたとは思う。
 
最初は「クリスチャンになったけど何も変わらない」なんてつぶやいていた頃の自分もよく覚えている。
 
しかし今、私の心と生活は大逆転したと言える。
 
その恵みを分かち合いたくて仕方がないのだ。
 
こんな私の独り言にも似た「生きること思うこと」をもし読んでくださる方がいるなら、こんなに嬉しいことはない。
 
その方にも祝福が流れていくなら、なお大きな喜びだ。
 
身の程を知らない大それたことに手を出そうとしているのではないかと恐れもよぎるけど、聖書のことばが心に浮かんで決心がついた。
 
 
私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕えようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕えてくださったのです。兄弟たちよ。私は、すでに捕えたなどとは考えていません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目指して一心に走っているのです。【ピリピ人への手紙3章12-15節】
 
 
これまた偉大な宣教者だった聖書の登場人物パウロの告白を自分に重ねるのは恐縮だけど、自分自身ではなく聖書の語っていることにフォーカスを定めると、勇気が出る。
 
私も捕えられているのだから、前に向かって踏み出そう!
 
とにかくやってみよう!
 
 
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