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天国途上 〜生きること思うこと〜

イエス・キリストを信じて、聖書を学び続けながら、ほんとうの幸せに出会いました。 私の日常は平凡なのに感動があふれ、問題や失敗もあるのに希望があふれています。 人生はそのゴールである天国へ向かって変えられ続けています。こんな私が日々思うことを公開します。 仙台市郊外にあるプロテスタント教会在籍。

ビフォーアフター

ブログをやるための協力を申し出てくれた友人がいることは前回書いた。

その助けがなければ私はきっと「思いはあっても実行しない状態」のまま、ずるずると過ごしていただろうと思う。

腰が重くて面倒くさがりなのだ。

「簡単だよ」と言われても、やり方を勉強してみようとさえしない。

苦手意識が先に立って現状打開の努力もしない。

そんな性格に自己嫌悪してますます意欲が低下する。

劣等感をまぎらわすために、できるふりをして強がったり、 人に好かれる明るいキャラクターを演じた。

演じるから心の底は疲れていて喜びがなかった。

そんなパターンを持っていたのがこの私だと思う。




今は、ずいぶん変わった。




努力家になって苦手意識も克服した、というのではない。

そうならカッコいいのかもしれないけど、全く違う方向で自由を見出すようになったのだ。

できないことはできない、欠点は欠点、失敗は失敗、と肯定的に認められるようになってきた。

隠さなくていい、言い訳しなくていい。

多少なりとも素直に生きられるように変わってきたということかな。

そもそも不完全な者なのだから、足りないところがあるのは当然。

失敗なら早く直されたい、悪かったら謝って赦してもらいたい。

どうしようもない部分は助けてもらおう。

期待外れだと私から離れていく人もいるだろうけど、正直でいられる関係をこそ育んでいきたい。

不完全を前提に赦し合い助け合える関係があるんだ。

そんなふうに考えるようになった。

このような変化は聖書の人間観を学びなが ら私の内に少しずつ広がっていったのだ。





以前、私たち夫婦が友人と食事をしていた時に友人が私をほめた。

すると、夫が「でも、一人ではなにもできないけどね」とにこやかにさらりと言った。

友人はとっさに私を弁護するような反応をしたのだが、私は「そうそう、本当にそう!さすが、私のこと良く分かっているわ!」と感心して夫に賛同した。

チームワークで活きるタイプと言えば聞こえはいいが、一人で地道にコツコツと取り組むことには本当に弱い私。

夫が私という人間の特徴(良い部分も弱い部分も)をわかっていること、その上で私と共にいてくれることを思って、嬉しく安心な気持ちになった。



もしあなたなら、こんな場面でどう感じるだろうか。



以前の私だったら全く違う感じ方をするだろうと想像できる。

恥をかかされたとカチンと来て、夫をひそかに恨んだかもしれない。

いや、夫の弱点もすぐさま暴露して空しい応酬をしてしまうか。

はたまた友人の手前、心の動揺を隠そうと必死で平然を装いヘラヘラして、友人と別れた途端に不機嫌にな るとか。

夫にまでそんなふうに思われているのかと落ち込んだかもしれない。

あるいは夫に嫌われるのではないかと不安でさらに卑屈になったり、友人がどう感じたか心配で仕方ないとか。

我ながら面倒くさい。




でも、私は長年このような制御不能の感情に左右され、苦しみ続けてきたと思う。

だからこそその時、自分の内側に起きた予想外の感情に驚き、そして自分が変えられ続けていることへの感謝と喜びをもってこの出来事は記憶された。

もちろん、よく知らないくせに断定されたり、皮肉みたいな指摘は不愉快だけど、互いに立派でないことを当然とし、互いにオープンで受容し合う関係は安心ではないか。

かつての私は人から良く思われることを命綱にして必死に強がっているタイプだったけど、今はむしろ過大評価される方が怖いと思う。

事実通りに罪ある者弱い者として知られていることが一番安心する。

適切な注意や絶妙な助けが与えられると信じているから。

そういう感覚は、実際にそのような体験を伴いつつ聖書のメッセージから繰り返し教えられたこと。




聖書の真理が心を変える。


生活を変える。


関係を変える。





これも天国途上にある幸い。



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