バッドタイミング OR グッドタイミング
ここぞという時って、ありますよね。
その機会を生かすか、台無しにするかの差は、その時に自覚している以上に大きいのかもしれません。
先週あった夫婦の一コマから。
その日は早朝から慌ただしく、まる一日聖書セミナーに出て頭をフルに使い、帰宅して簡単な夕食を済ませてからブログ更新の仕上げをし、充実感はあるものの頭も体もヘロヘロの夜でした。
夫は職場の飲み会があって遅いとわかっていたので、今日は先に休むことを伝えておこうとスマホを手にすると、夫からのメール着信。
終電より早い電車に乗れそうということで、最寄駅の到着時間が記されていました。その時間は約30分後。「疲れていたら先に休んでていいよ」とも書かれて。
どきっ! むむ...。 そっか〜、う〜ん。
どうするかなぁ...。
自分のプランが狂わされる場面の言葉にならない心の揺れ動き...。
車通勤の夫が電車で帰るのはたまの飲み会くらいで、必然的に深夜ですが、迎えに行かなくても怒ったりする人ではありません。徒歩でも15分ほどで帰ってこられます。
でも、だからこそ、私はできるだけ車で迎えに行って「お疲れ様」とねぎらって出迎えたいと思っています。
夫が無事に帰ってくることも、当たり前ではないと思うからです。
ところがその日の私は、既にパジャマに着替えて眠気に包まれ、すっかり就寝モードになっていました。
このメールが届くのが10分遅かったら、何も気づかずに熟睡中だったはず。
タイミング悪いなぁ〜、と愚痴が頭をよぎりました。
しかし、聖書セミナーで心が満たされていたおかげでしょう、ハッと考えが修正されました。
違う違う!
タイミングよかったのよ。
私が迎えに行けるように、神様がこのタイミングで夫にメールをさせ、私はそれを見ることができたのよ。
「なんとか、もうひと頑張りする力を与えてください。」と私は祈りました。
笑顔で気持ちよく夫を送り出すこと、あたたかくねぎらい夫を出迎えること、この2つは特に大切に心がけていることです。
毎日仕事をしてくれている夫への感謝と尊敬と応援の気持ちを表現しているつもりです。
だって、いつ何があるかわからない。
最後に見た妻の顔は笑顔だった...と思ってもらえるようにしていたい。
しょぼしょぼする目をこすりながら駅で待つ。
人がまばらに出て来て、ついに誰もいなくなった。
が、夫が来ない...。
電話してみると、寝ぼけた声で「乗り過ごしてしまった」と言う。
しかも、私が電話した時には次の駅も通り過ぎたところでした。
マジか...?
2駅先だと車でも20分以上かかる。折り返しの上り電車はもうない。
えぇ〜ん、マ〜ジぃ〜?!
どうする?
あぁ、もう、眠いよ〜!
主よ〜、助けてください〜!!
私は気持ちを切り替えてエンジンをかけ直す。
松島方面へ出発しました。
安全を祈りながら深夜の道を走らせているうちに、私の心は夫を出迎える準備が整えられていくようでした。
暗い駅前でポツンと待っていた夫を見つけて、私は何の抵抗もなく笑顔で手を振りました。
「お疲れ様。大変だったね。」
「ごめん、ホント、ごめん...」
「よかったよ、寝ちゃう前で。道も空いていたし。無事に着いたし。」
「君がやさしくて、よかった...」
「迎えに来る体力が残っていてよかったぁ〜」
私は心穏やかに来た道を夫を乗せて引き返しました。
私がやさしいのではありません。
それは私自身が一番よくわかっています。
夫のほめ言葉を受けるべきお方は、神様なのです。
だから私は、心の中で神様にお礼を言い、主をほめたたえます。
「いや、私じゃなくて、神様がしてくださったんだから」
とかいう謙遜じみた信仰の言葉を無理に突っ込んでしまう...という失敗を私は何度もやったことがあります。
神様の恵みに気づいてほしい一心からです。
だけど、それは、夫の心からのコメントを不正解とし、その思いを踏みつけてしまうに等しい...と失敗を重ねながら学習しました。
だから、今は、夫が私をほめてくれた時は素直に喜びます。
ありがとうね、嬉しい、と答えます。
そして、私が神様に感謝をささげるのです。
いつか、私の夫が、直接あなたに感謝をささげる日が来ますように...と添えて。
妻を通して夫に神様の恵みが流れること。
それはとても狭い小さな世界のことだけれども、
神のしもべとしての私の、最も重要なミッションだと思っています。
【妻たちよ、自分の夫に従いなさい。夫が御言葉を信じない人であっても、妻の無言の行いによって信仰に導かれるようになるためです。】第一ペテロの手紙3章
日常の些細なことにも助けを与えてくださる主に、栄光がありますように!