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天国途上 〜生きること思うこと〜

イエス・キリストを信じて、聖書を学び続けながら、ほんとうの幸せに出会いました。 私の日常は平凡なのに感動があふれ、問題や失敗もあるのに希望があふれています。 人生はそのゴールである天国へ向かって変えられ続けています。こんな私が日々思うことを公開します。 仙台市郊外にあるプロテスタント教会在籍。

心が戦場になる?!

ここ数日、福音書をはじめから読んでいる。

私がどうか、周りはどうか、何をどうすべきかなどの答えを意識せず、イエス様がどういう方かとじっと目で追い、主イエス様の内に身を浸すような時間を求めて。

 

「あなたにとって、キリストであるわたしの価値は、どれくらいか?」

...という問いも、先週に引き続き、私の中に留まり続けている。

 

 

正直、なにか重苦しく、出口を探しているような感覚が続いている。

自分に何が起きているのか、わからない。

何か理由を見つけたくなる。

確かに、いくつか影響している事実はあるかもしれない。

しかし、いずれにしても、それらはすべて神様が用いる道具に過ぎない。

私から罪の性質や不純物が除かれ、神とより深く出会い、練られた品性や満ち足りる心が形成され、神様の栄光が表されるために、聖霊さまが私の内で働き、主が戦ってくださっているのだと、私は考える。

 

自分の内側が戦場になっているような時に、どうしたらいいか。

見えない戦いを終わらせようと自分で作戦を考え、決着をつけようとがんばるのか。

それは、自分自身に切り掛かるようなもので、より衰弱し、敗北感だけが増すことを私は経験から学んだ。

 

こんな時は、私の内に住んで私の聖化を仕事としてくださっている聖霊さまに信頼することだ。

どうなっているかわからなくても、事態が悪化していくようで苦しくても...。

私に与えられている約束、キリストの御霊である聖霊さまに信頼すること。

それが私にできる最善の選択だと、私は知っているし、そう信じている。

 

だから

心の中が波立ち、暗く沈んだり、苦痛や悲しみに飲み込まれそうになっても、

自己嫌悪や罪責感が攻めかかってきても、

私は、聖霊さまと真の敵との戦いとして意識する。

そうであるなら、問題や敵が何であろうとも、勝敗を心配する必要など全くない。

 

真面目だとよく言われる。完璧主義の傾向もまだ残っていると思う。

自分の性格の厄介さは承知しているつもりだ。

性格は性格として否定しなくてもいいと思うようになったけれども、

主にある自由から逸脱させるような真面目さは、主の前で「自分の義」を立てようとする過ちであり、つまり私は自らの罪の傾向によって苦しんでいるだけなのだと思う。

 

見えるところによらず、感じることによらず、

主に全面的に信頼し、

自分の義を放棄し、

他者と比較せず、

必ず成就していく神の御計画こそ最善と理解し、

キリストに依存するしかない何も持たない貧しい者として

恵みの福音に身を避けることをしっかり学ぶプロセスに

私は置かれているのではないか。

 

導いてくださる主に信頼していれば、出口はきっと来る。

まるで受刑者のような心にならないで、赦されている今を楽しむことを考えよう。

弱さにある時でも天国途上...。

 

【心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。】

マタイの福音書5章より

 

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