天国途上 〜生きること思うこと〜

イエス・キリストを信じて、聖書を学び続けながら、ほんとうの幸せに出会いました。 私の日常は平凡なのに感動があふれ、問題や失敗もあるのに希望があふれています。 人生はそのゴールである天国へ向かって変えられ続けています。こんな私が日々思うことを公開します。 仙台市郊外にあるプロテスタント教会在籍。

もっと祈らなければならない?

もっとたくさん「祈らなければならない」と、気持ちが追い立てられることがあるだろうか。

そういう気持ちは、正しい考えのようであっても要注意かもしれない。

 

「自分の祈りが足りない。だからうまくいかないんだ。もっと祈るべきなのに私はできていない。もっと祈らないと神様から祝福されない。」

 

そんなふうに恐れや不安にとらわれているなら、解決は「もっと祈ること」よりも福音を再確認することだろうと思う。

私自身、この落とし穴にやられやすいと自戒していることだ。

 

健全な福音信仰から生まれてくるのは、神との親密さを慕い求める心ではないか。

 

祈らずにいられない。

もっと祈りたい。

 

そのような心は、聖書を学ぶことなしには育まれない。

救いの恵みを味わい、聖書のメッセージを正しく理解し、イエス・キリストがどのようなお方で、どのように自分と関わってくださる方なのか、神の約束が何なのか、そのようなことを学ぶほどに祈りは命を得ていくと思う。

祈りは、クリスチャンの義務ではなく最高の特権であり、呼吸のように自然で不可欠なものだと体験していくだろう。

 

 

先日、『祈りのちから(War Room)』という映画を観た。

教会に通ってはいるがプライベードでは形式的な食前の祈りくらいしかしない家族が登場する。夫婦関係は冷えていて家庭も壊れかかっている。ところが、ある出会いにより妻が本気で神様に助けを求めて祈り始めることから、家族が奇跡的に回復していくというストーリー。

いったい何が私たちの幸福を壊すのか...。

ほんとうの敵はだれで、勝利の鍵はどこにあるのか...。

真理が豊かに盛り込まれ、ユーモアもあり、ストレートに訴えてくる素晴らしい作品。

クリスチャンであってもなくても、ぜひお勧めしたい。

 

祈りには現実的な力がある、と私は信じている。

しかし、それは自分の思い通りに事を運ぶための手段ではない。

祈りは、願いを叶えるための「おまじない」でもないし、「魔法の呪文」でもない。

むしろ、神様に主権をお返しし、神様に信頼して従う行為だ。

 

熱心に祈ったら絶対その通りになる...なんて、私は決して言わない。

しかし、はっきり言えることがある。

あなたが本気でイエス・キリストを求めて祈り始めるなら、

そして聖書を学びながら祈り続けるなら、

確実に「あなた」が変えられていく。

神様との親密な関係の中で、あなたは慰められ、安らぎ、強められるだろう。

 

祈りの力は、まず祈っている本人に実現し、そして必ず周りにも働く。

祈りの答えを見るのは、すぐかもしれないし、ずっと先かもしれない。

願ったこととは違う展開を見ることもあるだろう。

しかし、あなたの心と生活は、祈り始めた時から祝福へと既に方向転換している。

 

祈りには力がある。

気休めではない、人生を変える大きな力が...。

そのような祈りの習慣には、共に祈りながら助けてくれる人がなくてはならないように思う。

 

あなたに、真実な祈りの友が与えられますように。

あなたが、だれかの祈りの友となりますように。

 

私自身もますます祈りに生き、その力強さや豊かさを知り、だれかの祈りを助けるような信仰生活へとさらに導かれますように...。

 

【鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。】箴言27:17

 

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