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天国途上 〜生きること思うこと〜

イエス・キリストを信じて、聖書を学び続けながら、ほんとうの幸せに出会いました。 私の日常は平凡なのに感動があふれ、問題や失敗もあるのに希望があふれています。 人生はそのゴールである天国へ向かって変えられ続けています。こんな私が日々思うことを公開します。 仙台市郊外にあるプロテスタント教会在籍。

私の望み

こんな私なのに、イエス・キリストは決して見捨てない。

それだけは疑いようもない真実。

そこに、私の希望がある。

キリストだけが私の望み。

この望みだけは、何があっても奪われることがない。

 

 

【わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。】ヨハネ14:18

 

 

いや、こんな私だからこそ、

救っていただくしか術がない私だからこそ、

イエス・キリストは自らこの地に降りてきてくださった。

 

罪にまみれて見るべきものが見えず、

正しい道に歩む能力を全く持たない私のために、

キリストが人となって義を全うし、

身代わりとして十字架で神の怒りの杯を飲み干して裁きを受け、

罪人が救われる道を開いてくださった。

 

 

【何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。】ローマ4:5

 

 

自分が絶望的に思える時がある。

生きる望みが消えそうでもだえる。

しかし、そもそも、自分という存在は絶望的な者だという事実を忘れてはならない。

ちょっとは見込みのある人間のような気でいるから、衝撃が大きいのだ。

そもそも自分はどんな存在で、何がふさわしいのか...。

 

キリストは絶望的な私に驚いたりなさらない。

当てが外れた...と態度を変えたりなさらない。

こんな奴だったのか...と去っていかない。

 

だいたい、私がどんなに自己嫌悪したとしても、

聖なる神の前で明らかにされる絶望的罪人の実体からすると、いくらもわかっていないに等しい。

 

キリストは、私がどうなろうとも、最後まで永遠に、共にいてくださる。

事情が変わっても離れていかない。

決して心変わりせず見捨てない。

これこそ、私の救い。

 

キリストの愛を知る人生に導かれて良かった。

揺らがない拠り所を与えられていて、本当に良かった。

永遠の御国に心を寄せて、夜は眠りにつき、朝には起きることができる。

たとえ倒れることがあっても、主が絶えず支えてくださるから。

 

【御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだのあがなわれることを待ち望んでいます。私たちは、この望みによって救われているのです。】ローマ8:23−24

 

 

主よ。

この地上で与えられた人生を、

最後まで全うすることができますように助けてください。

あなたの一方的な恵みがそれを成させると知っているので、

私には望みがあります。

私はあなたの御顔を慕い求めます。

みことばの教えを乞い求めます。

あなたのみことばは変わることがありません。

あなたに喜ばれる真理の道を歩みたいのです。

あわれんでください。

恵みの上に恵みを増し加え導いてください。

キリストの御名だけがあがめられますように。

 

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