悪魔からの年賀状?!
新年を迎えることができる恵みに感謝します。
お正月気分も終わり、皆様いかがお過ごしでしょうか。
新年最初にあたり、とても面白いもの、いや、実にぞっとするものをご紹介したいと思います。
<悪魔からの年賀状>
あけましておめでとうございます。私、悪魔、並びに悪霊一同より、新年のご挨拶を申し上げます。
旧年中は、私どもが吹き入れる邪悪な思いに、しばしばご賛同頂き、時にはそれを実行に移し、何度も神の御名を汚して下さり、大変お世話になりました。さらに、それらを真実に悔改めることもなく、一年を過ごしていただきましたことは、神の赦しと回復の恵みとを自ら拒否することであり、私どもにとりまして何よりの励ましとなりました。
控え目な礼拝出席、形式的な礼拝姿勢、表面的な教会での交わり、従う意志のない聖書の読み方、自分中心の願い事ばかりの祈りなどを通じて、救いの確信を失いかけたり、自らを省みることなく人を裁いてばかりの信仰生活には感謝の言葉もございません。まことに旧年中はお世話になりました。
ただ、兄弟姉妹の祈りや牧師の適切な指導さえなければ、さらに神なき素晴らしい世界をご一緒できたであろうことを思いますときに、まことに悔やまれる次第でございます。
さて本年も引き続き、気の向いた時だけ聖書を読み、決して神に本気で期待することなく祈り、兄弟姉妹とは建前だけの交わりに留めていただき、信仰と仕事は家庭に持ち込まず、「生教分離の原則」を徹底され、世と調子を合わせていただき、忌々しい神の栄光を現すことのございませんように、どうかよろしくお願いします。
また、そのようなことは万が一にもないとご信頼申し上げておりますが、新年を機に、真実に悔改める、神に立ち返る、神に従う決断をするなどの暴挙だけは、くれぐれもご容赦いただきますよう切にお願い申し上げます。
新しい年を迎え、私どもも全力をあげまして、あなた様が世の楽しみ、自己実現などにまい進され、神なき世界を満喫されますようご誘惑申し上げます。
そして、いつの日か、教会生活を離れられ、キリストへの信仰もお捨ていただき、私どもと永遠を共にしていただければ光栄至極でございます。
あなたの魂を恋い慕う悪魔より。
敬愛する牧師、水谷潔先生が以前ご自身のブログに書かれたものを、先生の承諾を得て転載させていただきました。
水谷先生は何度か私の教会にも来てくださり、礼拝メッセージをはじめ、若者の恋愛セミナーや子育てセミナーなどでもご奉仕くださいました。
私たちが日々の生活において罪を遠ざけて聖書の真理を実際に生きていくために、痛いところをズバリ突きながらもユーモラスに、親しみやすいトークでわかりやすく教えてくださる先生です。
私がこの「悪魔からの年賀状」に出会ったのは5年ほど前ですが、本当にドキッとさせられたことを覚えています。そして、悪魔どもがもみ手でニンマリしている姿を思い浮かべて嫌悪し、キリストにある者として心を引き締めたいという思いにされました。
さっそく全文を印刷して手帳にはさみ、毎年手帳を新しくする時に読み返すことにしました。
忘れやすい者だからです。
昨年のクリスマス、「自分が何をしているのかわからない罪人」ということを書きましたが、普段何気なくしていることが、悪魔どもから「毎度ごひいきにどうも...」とお礼されているとしたらどうでしょう?
イエス・キリストを悲しませるようなことはしたくない。
イエスさまにこそ喜んでいただきたい!
できている、できてない...はともかく、私の願いは明確です。
悪魔どもにだまされるもんか!
私は、ただ主に信頼して御霊の助けと恵みを祈り求めながら、神のことばである聖書に従う生き方を練習していく...。
この悪魔の年賀状は、今年も私の目を覚まし決意を新たにしてくれました。
悪魔を過剰に恐れ意識するのも落とし穴ですが、無防備では悪魔の思うつぼです。
絶えず忍び寄る悪魔どもの巧妙な策略を暴き、それを打破できる力は、神の御霊と神のことばにしかないと私は信じています。
だからこそ私は、自分の心と考えをつねに聖書で吟味する必要を認めていますし、聖書の教えに自分を従わせる選択をすると心を定めています。
それが、恵みに満たされた天国途上の歩み方ではないかと思うのです。
クリスチャンたちがキリストにある者らしく、主の栄光を表して今年一年を歩めますように!
主よ、みことばをもって助け導いてください!
【ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。】ヤコブの手紙4章
【身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。】第一ペテロの手紙5章