読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

天国途上 〜生きること思うこと〜

イエス・キリストを信じて、聖書を学び続けながら、ほんとうの幸せに出会いました。 私の日常は平凡なのに感動があふれ、問題や失敗もあるのに希望があふれています。 人生はそのゴールである天国へ向かって変えられ続けています。こんな私が日々思うことを公開します。 仙台市郊外にあるプロテスタント教会在籍。

大勢が選ぶ道なら安心?

今月の連休に福島県にある安達太良山に夫婦で登った。

ロープウェイもあるので初心者でも楽しめる山だ。

早朝に自宅を出発して日帰り計画。

快晴無風の好天に恵まれた登山日和だった。

 

安達太良山は紅葉シーズンが最高で以前登っているが、ゴールデンウィークは初めて。

私たち夫婦は初めて残雪の登山を体験した。

道は認識できない。

木々の根元が埋まっている様子から恐らく雪が1メートル以上は積もっていると見える。所々雪が溶けてぽっかり穴があき、その雪の下を雪解け水が流れている。

美しい!

楽しい!

でも、もし悪天候なら怖くて歩けないな〜と思いながら、ストックを使ってシャーベット状になった雪の上をザクザクと足を進める。

ルートは木々の枝に目立つ蛍光ピンクのリボンが結んであって、それを目印に辿っていく。周りに他の登山客がたくさんいるし、空は真っ青に澄んで気温も暖かいから大丈夫!

 

休憩しても登山者の流れから大きく離れないようにしながら、私たちは今年初の山を楽しんでいた。

 

ところが、向こうに山頂が見え隠れするあたりまで来て、ハプニングが起きた。

私たちの前を進んでいた登山グループ(全員がグループかわからないけど)が立ち止まり、ざわついている。

止まっている人たちを追い抜いて私たちが進むと、先頭あたりをリードしていた男性2、3人がスマホや地図を見ながら「この道じゃまずいな」とか、「どこから外れたんだ?」とか相談している。

私は急に不安になった。

確かに、回りにピンクのリボンは見当たらない。

この先には雪の上に人の歩いた跡はあるにはあるけど、極端に少ない。

 

私の夫も立ち止まり、何か考えている様子。

私は、何やら相談し自分のグループの人たちに声をかけて回っている男性の一人に声をかけた。

「この道は間違っているんですか?」

「メインの登山道から外れているから、山頂には行けると思いますが、えらく遠回りしている感じですね。いや〜、ベテランでもこういう間違いがあるってことで...」

と照れ笑いして、来た道を戻って行く。

 

その人についていくように、周りで休んでいた人たちもブツブツつぶやきながら、足取り重くゾロゾロと引き返して行ってしまった。

 

もう周りに他の登山者はいなくなる。

私も足の向きを変えながら夫に言った。

「私たちもあの人たちに付いて戻ろう。あの登山ガイドみたいな人が遠回りだって言ってたよ」

「あの人、本当に登山ガイドなの?」

「ガイドかはわからないけど、自分のことをベテランって言ってたよ」

「ふーん」

夫は何か考えている...。

「どこから外れたんだろう。ピンクのリボンを確認しながら登ってきたんだけどな...」

 

その時、私は気づいた。

私は何も考えずに大勢の人が進む方向に流れながら自然を楽しんでいたけど、夫は自分で考えて前回登ったルートと確認しながら、それなりに夫婦登山のリーダーとして責任をもって歩いていたのだ。

夫も私も登山のベテランなどではない。

だから、私たちが登る山は、難しくない日帰りコースを夫なりに調べてくれている。

ありがたいな、頼もしいな、と改めて感謝した。

 

とはいえ、私は黙って夫の判断を待ちながらも、心の中では相変わらず焦っていて、「あの引き返した人たちが見えなくなる前に、私たちも戻ろうよ」と思っていた。

 

夫は意を決したように「やっぱり、このまま上に行ってみよう」と足を踏み出した。

私は「ホントに?」と一言だけ確認したけど、夫に従って行こうと心を定めた。

人ひとりがやっと通るような狭い獣道のような所を低木をかき分けて進む。

 

黙々と足を進めているけど、夫の背中を見つめながら私の心はお祈りモード全開だ。

 

もしどんどん道が怪しくなるなら、引き返す判断を夫がしますように...

夫が引き返すと言ったとき、ぶつぶつ言ったりせず、気持ちよく従えますように...

もし山頂が遠くになっても、時間がすごくかかっても、最後まで夫婦登山を楽しみ、安全に下山できますように...

私はあなたに信頼して、夫に従います。私の夫を助け導いてください。

晴天が守られていることを感謝します。遭難しませんように...

 

そうしているうちに、ピンクのリボンを発見!

なんと、私たちはあっさりメインの登山道に合流した。

 

私は、神様に感謝して祈り、夫に尋ねた。

「どうして、この道で大丈夫って思ったの?」

「先に登っていた人が戻って来なかったからさ」

夫は私の知らない判断材料で考えていて、決して直感とか無謀な意地で決めているわけではないと、ここでも気づかされた。

夫への尊敬をこめて、感謝の褒め言葉を贈った。

 

引き返した登山グループは山頂で私たちの後から無事追いついてきた。

 

私自身は、色々と自分自身を振り返って聖書の言葉を思いめぐらす出来事となった。

主に信頼して夫に従う...という聖書原則に心を定めていることの守りと平安。

あと、大勢が行く道や、わかっているように語る人だからといって、正しいとは限らないこと。

自分自身が主体的に判断する意識を持ち、判断の基準を持っていないと、知らないうちになんとなく多数派に流されてしまう私なんだなぁ〜とも再認識した。

 

(もちろん、山は山なので霊的原則と同じでないし、山の安全知識は不可欠です!)

 

とはいえ、一つの御言葉がこの体験と結びついて心に刻まれたのでした。

 

【狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見出す者はまれです。】マタイの福音書7章より

 

f:id:tengokutojou:20170519180629j:plain