悩み多き日の処方箋
私たちは、自分が考えることを意識的に取捨選択する必要がある。
思考を健全な方向で管理する責任は自分自身にある。
聖書のピリピの手紙をここ数日ディボーションしながら、充実したクリスチャンライフと習慣的な思考の関係を黙想していた。
くよくよしないで前向きに考えること、気持ちを切り替える技術などは、メンタルヘルスのポイントとして一般的にも語られることだが、聖書ではこのように書かれている。
【何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。】ピリピ4章
私たちの心と思いは、守られる必要を抱えていると言えるのではないか。
私たちは、自分を取り囲む「状況」を快適に守ってほしいと期待しているかもしれない。そうなれば思い悩むことからも解放される、と。
しかし、神が約束しているのは、どんな状況においても、思い煩わずにいられないような精神状態に追い込まれたとしても、私たちの「心と思い」を守ってくださる、ということだ。
守りを受け取る方法として聖書が教えていることは、
心配事を洗いざらい神様に打ち明けて、不平不満ではなく感謝する心を持ちながら神様に頼ることだ。
さぁ、神様に心を向けよう。
あぁ嫌だ、困った、ひどい、つらい、もう無理...などとため息まじりにつぶやき、我が身を嘆きながらぼんやり考えるのをやめて、主のお名前を呼んで一歩を踏み出そう。
そうすれば、たとえ状況は同じでも落ち着きを保つことができる。
神の平安という特別な安心感がキリストの内にいる私たちを支える。
気休めではない、逃避でもない、一時的なハイテンションでもない、まさに、人知を越えた神の守りが心と思いに働くのを体験するだろう。
続きにはこう書かれている。
【すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。】ピリピ4章
このみことばを読んで自分自身を振り返ると、
なんとも、反対のことを考えていることが多い...。
疑わしい事柄や不確かな想定であれこれ吟味している。
腹立たしい事や嘆かわしい事に注目する。
悲しい現実、人の醜い面に心をとらわれやすい。
悪いニュース、負担の大きい課題、向けられた批判が頭から離れない。
あなたの思考は、何に留まりやすいですか...。
心は、どんな感情で満ちていますか...。
自分の内側を聖書に照らして考えてみませんか...。
意識的な点検で早期発見が回復の鍵です。
(ガン検診の宣伝文句みたいですね)
思考は取捨選択できることを忘れないように、私は聖書のことばを覚えます。
キリストにあって守られることを私は切に願います。
神様は約束通り必ず守ってくださいます。
しかし、私たち側にも応答の責任があると思うのです。
何を考え、何を考えないようにするのか、
聖書の真理を考え、神様を求める選択をすること。
神様の恵みによって、どんな状況においても思考の管理を主体的にすることができる、と私は信じます。
だから私は、キリストを中心に思考を整理する習慣づくりに取り組み続けます。